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いずみが生まれるまで
そんな中、2013年に福山の病院に転勤となり、福山に在住することとなりました。福山にはリハビリ専門職を養成する学校が1校しかなく、また資格を取りたい学生であっても市外に出てしまうことも多いと聞きました。また当時はリハビリテーション病院(病棟)も少なく、リハビリを受けたいけれど受けられないといった話も耳にすることがありました。しかし私が転勤した病院には熱意のある後輩も多く存在し、1人の患者様のために皆がそれぞれ全力で考えて関わるチームを作ることも経験することができました。ただ、やはり退院した後の生活、在宅での暮らしは病院に勤めている限りは知ることができませんでした。退院した後に十分なリハビリテーションを継続して受けることができない方や、転倒や状態が悪化して再び入院される方も多くいらっしゃいました。
「在宅で関わることのできる看護やリハビリがもっとあれば良いのに・・・」
そんな思いがあり、たくさんの方々の支えや助けがあって、いずみ訪問看護ステーションを立ち上げることができました。
大阪で理学療法士の資格を取得してから13年目となりました。資格を取ってから最初の8年間は大阪の急性期病院、回復期病院で経験を積みました。病院ではたくさんの先輩からご指導をいただき、またそれよりもたくさんの後輩たちに指導ができる環境で、私自身の知識や技術を高めることができました。しかし、いくら退院後の生活を考えて病院でリハビリテーションを行っていたとしても、入院中にしか関わることはできず、いちばん大切である在宅での生活については全く知ることができない状況でした。

私たちの思い

私たちの思い
今まで雇用される形で勤務をしてきました。それなりのお給料をもらえ、それなりのやりがいや緊張感がありそれはそれで普通のことかと思い過ごしてきました。
「個々を尊重した計画を立てる」とか「思いに寄り添って」など言われていましたが、本当に実行出来るかと言えば出来ておらず、出来ない理由は会社の方針(結果従業員を守ることにも繋がりますが)だったり回りへの兼ね合いとか…。
それって、誰目線の看護なんでしょう? 利用者さんの思いはどこにあるのでしょうか?
看護師で専門職である以上、一般状態を観察して異常の早期発見に努める(これは常識で誰にでも出来ます。)適当に話を合わせて時間になったらさっと帰る…。このような看護をしている人に自分の本音を話するでしょうか?
仲良くなって何でも言える関係になれば本音を言ってくれるんじゃないの?…私は違うと思います。利用者さんも人を見極めていると思う。認知症の人は特にそう思います。ピュアで正直で。受けてのこちらが真剣に向き合わないと「会話」は出来ていないかと。
ある認知症の人との関わりの中で、携帯番号が書かれたメモが出てきた際に言われたんです。「多分この人に昔お世話になったのよ。もう顔も覚えていないし名前も覚えていない。でも会ってみたいなあ。無理よね?」
もちろん当時勤務していた上司に相談しました。「個人の約束に顔をつっこんではだめ。何か事件でも巻き込まれたらどうするの?」
当然の判断だと思います。認知症の一人暮らしの利用者さん。危険がいっぱいです。
でも、携帯電話を持っており自分で電話をかけて会う約束をしようと思えば出来るはずなのに、私に相談してくれている。
一人では不安だったからだろうなあと思いました。頼ってもらえて嬉しくもありました。
上司には内緒で(本当はいけませんが)私の判断で電話をかけました。私の訪問日に合わせて利用者さんの家で会う約束もしました。
玄関先で一通りどんな人か素性を聞かせていただき、その上で利用者さんの家に上がってもらい再会を果たすことが出来ました。
(運がいいことに、利用者さんが以前入院していた病院の同じ病室だった元看護師さんだったんですが。)
再会できた時の何とも言えないいい表情をされ、泣かれ、私までもらい泣きしてしまいました。
このときに思ったんです。いろいろなことが自分で出来なくなってくると諦めの生活を送ることになっているんだなあ。私はそんなの嫌だなあ。私が嫌なら他の人も嫌だろうなあ。QOLなんてかっこいいことみんな言っているけど、本質はどうなんだろう。時間がかかっても身の回りのことが一人で出来ているからいいんじゃない?じゃなくて、よりよい生活、生きていて楽しい生活を送ることができるようなお手伝いがしたい。
こんな思いで立ち上げました。この「おせっかい」にもとらえられる思いに賛同してくれたスタッフと今仕事が出来ていることがうれしいです。
(管理者)
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